ウィーンでの留学生活 (写真で紹介しています)
2000年秋  留学生活の始まり
2000年冬   一時帰国、ホイリゲ、クリスマス市
2001年春  ウィーンの春

2001年初夏  ロプコヴィッツ邸でのコンサート
2001年夏  ブレッド音楽祭(スロヴェニア)

2001年秋   アルモニコの夏inイギリス&オーストリア
2001年初冬  リゲティを訪ねて
2002年冬    
2002年早春  クラスアーベントの様子
2002年夏  ハイドンフェステイヴァル
2002年秋   エクサンプロヴァンス音楽祭&北ドイツでの音楽祭
2003年 冬  秋、冬総集編
2003年春 イタリアでのアルモニコ
2003年夏  アッター湖・・・他

2003年12月  ウィーンのクリスマス



 

 

2001年

現代を代表する作曲家リゲティを訪ね、一緒にリゲティの弦楽四重奏曲第2番をリハーサルした時の様子をまとめました。

 

リゲティを訪ねた時の体験記(エッセイ)

 

 

 

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ウィーンでの留学生活(2000年~2004年)

 

留学生活の始まり 2000年秋
  (2000.09.28)

日本を出発して1ヶ月が経ちました。アルモニコ初の外国でのリサイタルも無事に終わり(Allegro vivo国際室内楽フェスティヴァル)ウィーンに戻ってきてからは、新しい生活の準備に追われています。家探しをしながら学校の手続きや、ミルシュタット(南オーストリア、イタリアとの国境近く)でのコンサートがあったり、また他にもメードリンク(ベートーヴェンが、ミサ ソレムニス、ハンマークラヴィーアソナタなどを作曲した地)をはじめ、ウィーン近郊の街で演奏する機会が度々あり、忙しい日々を送っています。

2000年8月  Allegro vivo国際室内楽フェスティヴァル

Johannes Meissl (ヨハネス マイスル)先生と。
フェスティヴァルの期間中、この部屋で練習していました。マーラーザール(ドイツ語でマーラーとは画家の意味)という名でたくさんの落書きのある部屋でした。
フェスティヴァル開催地のホルン(ウィーンの北西80Km)は、歩いて周れるほど小さな町で、中心には教会があり美しく鳴り響く鐘の音を聞いて、これが私たちがこれから留学するオーストリアという国なんだなあ、と感じました。
アルモニコ初の外国でのリサイタルに、アルバン・ベルク弦楽四重奏団のシュルツさん(第2ヴァイオリン、写真後列左)が聴きにいらして下さいました。写真後列中がマイスル先生、前列右が共演したクラリネット奏者のK.F.シュミットさんです。トーン・キュンストラーオーケストラの第1クラリネット奏者で、とても柔らかい音色の方でした。オーストリア製のクラリネットだそうでモーツァルトにぴったりの音色でした。次回はぜひウェーバーを一緒にやろう、と盛り上がりました。



     2000年9月 ミルシュタット国際音楽週間

ウィーンから特急電車で約6時間かけてミルシュタットにつきました。街の至るところにアルモニコのコンサートのポスターが貼ってあり、街で会う人々に「これあなたたち?」と声をかけられました。この音楽祭は5月から10月まで行われており、世界中からいろいろなジャンルの演奏家が招かれています。
ミルシュタットはオーストリアの南に位置し、イタリアの国境が近いせいか、ウィーンよりも空が近く太陽もずっと明るく感じました。
ホテルの部屋からの眺めです。左端の赤い屋根が演奏会場の教会です。朝はいろいろな鳥の鳴き声が聞こえ、夜は電気を消しても部屋中がはっきり見えるほど月が明るく、空気の澄んだとても美しいところでした。
演奏会場となった教会は、古い壁画がそのまま残っており歴史を感じさせ、今まで弾いてきた他の教会とは少し違った、独特の雰囲気がありました。この扉は重たい鉄でできており、ここからステージに出ていきました。
終演後、お世話になったエルケさんと。
教会での演奏会は、天井が高く残響が多いためなかなか難しいのですが、この教会は程よい大きさだったのでとても弾きやすく、またお客様も本当に温かく、そして私たちの演奏を心から楽しんで下さり、とても思い出深い演奏会になりました。

      

   ウィーン国立音大で

 

ウィーン音大は、市内にいくつも校舎があり、私達の在籍する室内楽科はAnton-Webern-Platzの新しい校舎にあり、マイスル先生のレッスンはここで行われています。ここが正面玄関です。

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2000年冬  (2000.12.15.)

 11月の日本でのコンサートにはたくさんの方々にいらして頂きましてどうもありがとうございました。日本からウィーンに戻ってすぐにイギリスでのコンサートがありました。イギリスでもとても温かな雰囲気の中で演奏をすることができ、大変思い出に残る演奏会になりました。
 12月に入った途端ウィーンは本格的な冬になりました。マイスル先生のレッスンも1ヶ月ぶりに再開し、レッスンのほかにもサロンコンサートなどにも出演の機会を頂き、充実した日々を送っています。

 

一時帰国

 

岡山先生お気に入りのイタリアンレストランで。日本を出てウィーンには2カ月滞在してすぐに帰ってきたのですが、先生とはつもる話がたくさんあって楽しい時間を過ごしました。

 

今回の一時帰国ではコンサートが立て続けにあり、一番最後のコンサートはJTアートホールでした。同級生の有馬理絵さんとモーツァルトのクラリネット五重奏曲を演奏しました。満員になって立ち見の方まで出るほどの大盛況でした。

 

 

    

≪イギリスでのコンサート≫

ロンドンから南西へ電車で約3時間かけて演奏会の行われるシートンという町に来ました。この町はそれまで大雨、洪水で水浸しだったそうなのですが、私たちの演奏会の日は2週間ぶりに晴れたとのことでした。
この坂を登りきったところが演奏会場です。オーストリアとはまた全然違う町並みでした。
近くの古い教会です。イギリスの建物はこの教会のような小さい石を積み重ねて作ったものやレンガ造りのものが多いので、新鮮に感じました。
会場に戻ると控え室には、手作りのスコーン(クリームチーズとチェリージャム)とおいしい紅茶が用意されていました。さすが本場だ、と実感するほどおいしかった!
仲介していたマネージメントのミスで
私たちArmonicoの名前が間違って伝えられていました。会場に行ってこれを見てとても驚きました。
お客様は満員で本当に喜んで聴いて下さいました。「またぜひ演奏しに来て欲しい」という嬉しい言葉を頂きました。

 

ホイリゲで≫

今年採れたばかりの新酒を飲みにみんなでホイリゲに出かけました。ベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書の家」の近くにはたくさんのホイリゲがあります。
ホイリゲがあるお店には松の枝で作った飾りが扉の上にぶらさがっています。
窪田君が「この店の方がいいんじゃないかな…」とつぶやいています。結局このお店に入ることにしました。
お店に入るとヴァイオリンとアコーディオンの演奏に合わせて人々が楽しそうに歌っているのが聞こえてきました。こちらの人にとってのおなじみの曲を次々と演奏していて、楽しそうに夜中まで盛り上がっています。
4人が手に持っているのは左から
※Nußberger Heuriger
 (Nußbergで採れた新酒)
※Nußberger Alt
 (Nußbergの2年もの)
※Grinzinger Grüner Veltliner
 (Grinzingで採れた緑のぶどうから作られた新酒)
※Nußberger Rot
 (Nußbergで採れた赤ワイン)
どれもさっぱり、フルーティーでとても飲みやすかったです。
このお店では向かいの建物のビュッフェで好きなおつまみを選ぶことができます。
お手軽な値段でこれだけのおつまみとホイリゲを飲めるので、何度も通ってしまいそうです。

 

≪クリスマス市≫
 オーストリアのクリスマスには、本来サンタクロースというものはいないそうです。そのかわり、12月5日に悪い子のところにはクランプスがお仕置に、12月6日によい子のところには聖ニコラウスがやって来てプレゼントをくれるそうです。24日にはChristkind(クリストキント)という天使が来る、と子供たちは信じています。

ウィーンで一番大きいといわれているラートハウス(市庁舎)のクリスマス市に行きました。
ラートハウス広場はとても広くたくさんの人々で賑っています。
広場にはこのような木の小屋のお店がたくさん並んでいて、クリスマスの飾りやおもちゃ、食べ物など色々なものが売られています。街中ではこの市で売られている飾りやイルミネーションが見られ、人々がそれぞれの思いでクリスマスを心待ちにしているのが感じられます。
←光のオーナメントのお店。 ←ろうそくのお店。たくさんの種類があり、選ぶのが大変。
グリュ―ワインという赤ワインにいろいろな香料(りんごやオレンジの皮)が入った甘くて温かい飲み物。この寒さの中で飲むとおいしさも格別!      → これはガーリックがきいた油であげたパンのようなおせんべいのような食べ物。→
←ベーレンプンシュといういろいろなベリーの入った甘くて温かいお酒。 「底にベリーがたまって食べられない・・・」
もみの木が売られていました。オーストリア産のもみの木でちなみにこれは380シリング(今のレートで約3000円弱)でした。いろいろな人がこれを買って家に持ち帰っているのをよく見かけます。
キリストが誕生した馬小屋が再現されていました。中にはロバが数匹いてマリアの像が飾られていました。子供も大人もみんなクリスマス市を楽しんでいます。

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2001年春 (2001.3.28)


 2月のコンサートには、たくさんの方々にいらして頂きましてどうもありがとうございました。せっかくの一時帰国でしたが日本で休む暇もなく、大学の次学期の手続きのため、コンサートの後とんぼ返りで帰って参りました。
 日本では聞いたことのない鳥の鳴き声が聞こえ、色とりどりの花も咲き始め、またヨーロッパ特有のどんよりした冬空から一転して青空が見える日も多くなり、ウィーンでの初めての春を体中で感じています。
 こちらでの演奏会の機会も増え、今は新しいレパートリーにとりかかっています。

  

≪パノハSQを訪ねて≫ 2001年2月1日 

2月の日本での演奏会で演奏する
ドヴォルザークのOp.105のレッスンをパノハSQに受けるために、ウィーンから電車で5時間ほどかけてプラハに行きました。チェロのクールハンさんのご自宅で、5時間(休憩なし!)にもわたる、熱心で感動的なレッスンを受けることができました。

 

 

≪イースター(復活祭)≫

イースターを前に街中のお花屋さんにPalmkätzchenという植物が並び始めました。枝にたくさんの綿のような、木の芽のようなものがついています。人々が買って帰るのをよく見かけます。
復活の意味をこめた卵の飾りです。卵の殻に花や動物、チェック柄など色とりどりの彩色がなされていています。
Palmkätzchenに美しく彩られた卵が飾られて、ショーウィンドウなどに並んでいます。ちなみにこれは郵便局に飾られていたものです。

 ≪ハイドン国際室内楽コンクールのオープニング≫

ウィーン音大の主催でハイドン国際室内楽コンクールが3月26日から始まりました。
第1回の今年はピアノ三重奏部門が開催されています。予選は学内のハイドンザールで行われ、本選はムジークフェラインと共に由緒あるコンツェルトハウスで行われます。
これがハイドンザールです。
開催前夜のオープニングコンサートで演奏しました。
終演後のレセプションではたくさんの方が話しかけて下さり、その中にはホールの方もいらして「是非今度コンサートを・…」と嬉しいお言葉を頂きました。

 


2001年初夏  (2001.5.8)


 4月中旬になって突然冬に戻ったかのような寒い日が10日間ほど続きましたが、それがうそのように今ではすっかり初夏のような天候です。さわやかな新緑の中にリラの花が満開になり、公園、ドナウの川岸、カフェのテラスは、太陽を待ちこがれていた人々で大変にぎわっています。


≪フーバー家でのイースター≫

こちらで4人がお世話になっているフーバーさん一家にイースターにお招き頂きました。

イースターにはOsterhase(ウサギ)がお庭にやって来てチョコレートや卵のプレゼントを隠して行きます。フーバーさんが木の上のプレゼントを見つけています。
茂みの中から自分あてのプレゼントを見つけて、大喜びのさおりちゃん(5歳)。フーバーさんのお嬢さんです。
切り株にプレゼントを並べて、全員分見つけたかどうか確認しています。


≪グラーツでのコンサート≫     2001.4.20


グラーツに向かっている電車の中から。(前方に私たちが乗っている電車の先頭車両が見えます)
4月も中旬だというのに突然目の前に広がったこの雪景色に歓声があがりました。
グラーツ音大内のフロレンティナーザールでのリハーサル風景です。
グラーツはシューベルト国際コンクールで優勝した私たちにとっての思い出の地で、あれから1年後に演奏会という形で訪ねることができたのはとても嬉しいことでした。

 

≪ロプコヴィッツ邸でのコンサート≫  2001.4.26 

オーストリア弦楽四重奏協会主催(アマデウスSQのブレイニンさんとアルバンベルクSQのピヒラーさんが理事を務めている)のもので、これまでも若手クァルテットのCD録音コンサートが行われており、今回でシリーズ第7回目となります。


これが招待状です。
とても立派なもので、このコンサートの重さが感じられ、とても身が引き締まる思いでした。当日は日本大使ご夫妻、国連大使ご夫妻もいらして下さいました。
王宮のそばにたたずむロプコヴィッツ邸。ロプコヴィッツ侯爵はボヘミア出身で、自らヴァイオリンを弾くほどの音楽好きで、ベートーヴェンのパトロンでもありました。
この屋敷で交響曲第3番「英雄」が、侯爵ら数名の面前で、小編成により私的に初演されました。
エロイカザール入り口。
エロイカザールの床はベートーヴェンの時代のものがそのまま残っており、いい状態で保存されています。
200年以上も前の木の床で、歩くとギシギシという音がしました。
この床をベートーウェンも歩いていたと思うと、いろいろなところを踏んでおこうと思ってしまいました。窓際に立って、その当時に思いを馳せました。
リハーサルの合間の薄暗い静かな空間。
この空間だけ時がゆったり流れていて、今日が本番であることを忘れてしまいそうです。
ホールの壁や天井は石造りで、リハーサルの時はお風呂場のような響きでした。
本番では地元のお客さんが満員になるほど来て下さり、感激でした。

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2001年夏 (2001.7.17)

日本の猛暑を思い起こさせるほどの暑い日々(32~35度くらい)が続いていましたが、ここ2日突然涼しくなりました。こちらにはそうめんや冷やし中華、かき氷のような“涼しくなる食べ物”が少なく(こちらではアイスでしのいでいます)、やはり冬の長い国なので仕方がない・・・と諦めています。

7月上旬にはスロヴェニアのブレッド音楽祭に出演しました。2週間前に電話があり、急遽代役を頼まれアイネム(オーストリアの作曲家で今年が没後5周年)の作品と、その他私達の一晩のプログラムを演奏しました。2回共好評で、主催者&音楽監督にも喜んで頂き、来年も出演することになりました。
 

≪ブレッド音楽祭≫  2001.7.5~7.10

ウィーンから電車で5時間、そし車で国境を越えて1時間弱でスロヴェニアのブレッドに来ました。到着時はすでに夕方で、遠くにはかすかに霧がかって、湖に浮かぶ島が見えています。
翌朝目覚めると、何とも気持ちのいい晴天でした。この山の向こうがオーストリアです。この山の中の7キロも続くトンネルをぬけて国境を越えてきました。
散歩の途中で音楽祭のポスターが貼ってある古い掲示板を見つけました。遠くには教会が見えます。この教会の鐘は、曜日や時間によって4,5パターン音の組み合わせがあって、5分から15分の間鳴り続けます。鳴る度に今度はどのパターンかと毎回楽しみで、最後までつい聞いてしまいました。
ブレッドから車で15分ほどの隣村に残る700年前のお城で私達の演奏会がありました。残響が長く(3.9秒)、教会での演奏会を思い出しました。スロヴェニアの演奏家がよくCDなどの録音に使うそうです。
お城の周り一帯は皆古い建物で、壁画がほとんど消えかかっていました。人々は今でも、それをそのまま生活の一部として大切に使っていることにとても驚きました。
演奏会場でのリハーサルが終わったところです。本番では立ち見が出るほど満員になり、1曲目のハイドンから拍手が鳴り止まず、2曲目のために楽譜の準備をしていてもまだ続いていたので、もう1度立ってお辞儀をしたほどでした。こんなことは初めてで、大変感激しました。
スロヴェニアには蜂蜜の有名な産地があるようで、スロヴェニア産のいろいろな種類の蜂蜜や蜂蜜のリキュール(スロヴェニアでは冬に飲むそうです)が売られていました。このおじさんと、蜂蜜を1瓶(秋の蜂蜜)もらうかわりに蜂蜜についてのドイツ語の説明書きを日本語訳する約束をしてしまいました。早くやらなきゃ…
湖畔のカフェでひとやすみ。
湖を見下ろすように山の上に古いお城がそびえたっています。このお城まで登ることにしました。
頂上にたどりつくと、それはそれは美しい眺めでした。四方を山に囲まれた美しい湖をまた来年も見ることができるのが今からとても楽しみです。

                                       



2001年秋  (2001.9.30)

テロの影響で飛行機に楽器が持ちこめない、などの噂が流れたり、皆様にいろいろとご心配頂きましたが無事にウィーンに戻ってまいりました。9月16日大阪イシハラホール、9月21日東京トッパンホールでの演奏会にはたくさんのお客様にいらして頂き、どうもありがとうございました。大阪は昨年の初めての演奏会に引き続き2回目となり、より多くの方に聴いていただくことができ、大変幸せでした。またトッパンホールの方ではおかげさまで事前に完売となり、中にはキャンセル待ちで当日並んでくださった方も多くいらしたと伺い、皆様に心より感謝しております。

ウィーンはすっかり秋も深まり、葉が美しく色づいています。中にはすでに冬のコートを着始めている人もいて、だんだん冬が近づきつつあるのを感じます。

≪アルモニコの夏 in イギリス≫

イギリスに着いた日、散歩の途中にこじんまりとした雰囲気のいいホテルを見つけ、早速アフタヌーンティーを楽しみました。サンドウィッチ、スコーン、フルーツケーキ各種を、おいしい紅茶とともに頂き、落ち着いたインテリアの中で、至福のひとときを過ごしました。
イギリス湖水地方のアンブルサイドという街に来ました。ウィンダミア湖が遠くに見えます。雨の多いイギリスですが晴れた日には本当に美しい風景が広がります。
珍しく晴天の午後、お散歩の途中で羊の群れを見かけました。I さんが「メェ~~」と話しかけると、次々にあちらこちらから「メェ~」「メ゛ェー」と返事が返ってきました。
宿舎の前には小高い丘が広がっています。宿舎からカメラを向けた2人に、丘の上からこちらに向かって残りの2人がポーズをとっています。
アンブルサイドにある古い石造りの教会でコンサートがありました。オーストリアの教会よりも天井が低い上に、木でできているため、残響が多すぎず、とても演奏しやすく感じました。

 

≪3回目のAllegro vivo音楽祭≫

3回目の参加となる今年は普段愛用している自転車を、ウィーンから電車に乗せて持ってきました!こちらでは自転車用の切符を買って、電車に持ち込むことができます。
宿舎からレッスン会場までは昨年までは徒歩で25分かかっていたのですが、今年は背中に楽器をしょって自転車でラクチン!
今年のマイスル先生のレッスン室はロフト付きの小さな部屋でした。マイスル先生はこのはしごから顔を出して『まるで人形劇みたいだ!』と喜んでいました。写真を撮りましょう、と言ったら先生自ら『人形劇で撮ろう!』と1番張り切っていました。

 

 


2001年初冬 (2001.11.03 )

 ウィーンはもうそこまで冬が来ています。今朝の気温は1℃。ラートハウス広場には早くもクリスマス市の小屋が準備され始めました。黄金色に美しく輝いていた木々の葉が散り始め、街には焼き栗のスタンドが出て、自転車で駆け抜けると心地よかった風が、顔に冷たく刺さり始めました。
 
 京都賞を受賞した作曲家リゲティのワークショップで、本人の前でリゲティの弦楽四重奏曲第2番を演奏することとなり、前もってハンブルグのリゲティ氏のご自宅にてリハーサルを行いました。
78歳と伺っていましたが、年齢というものとは関係のない次元を超えた大きな存在を感じました。そして、作品についてのお話やアドヴァイスを直接伺うというこの経験は私たちにとってとてもかけがえのない財産となりました。

≪ある土曜の午後≫

 こちらで大変お世話になっているフーバー家のヴォルフさんとさおりちゃんと一緒にウィーン近郊の街にドライブにでかけました。芸大の先輩にあたる奥様の陽子さんは、2年ぶりの一時帰国中です。

途中のとうもろこし畑でヴォルフさんが突然車を止め『ここでかくれんぼしよう!』と、さおりちゃんと2人で畑の中に隠れに行きました。
自分達の背丈よりも高い、もう枯れてしまったとうもろこし畑の中を、ガサガサいわせながら、必死に進みました。
必死で探していたのに見つからなくて、気がついたらいつのまにかアルモニコの負けだったようです・・・
ドナウ川域のデュルンシュタインに来ました。山の上の古城からドナウを見下ろす3人。下には、デュルンシュタインのシンボルともいえる、水色と白の美しい教会がかすかに見えています。
大変な思いをして頂上まで登ると、夕日にあたって霞んだドナウ川が美しく、ため息がでるほどでした。

 

≪リゲティを訪ねて≫

3年前にドイツのエルマウ城で偶然相席になって夕食をご一緒したリヒャルト夫人に再会しました。エルマウで「ハンブルクかブレーメンに来る時は連絡してね。」と渡されていた連絡先に3年ぶりに電話をしてみました。彼女の自宅に招待されて、近所のエルベ川沿いを散歩しました。(船着場の上から)
長く垂れ下がった太い木の枝に子供が2人すわりブランコのようにお父さんが揺すっているのどかな光景を見かけました。
ヨーロッパの多くの家庭は間接照明やろうそくの火で陰影を楽しんでいます。風邪気味だった私たちに手作りの家庭料理が体に優しく沁みこみました。
リゲティ宅でのリハーサル後に。リハーサル中は厳しく指示なさってたリゲティも、終わった後は日本についての質問をなさったり、気さくに色々とお話をしてすっかり和やかになりました。
 


  


2002年 冬  ( 2002.1.22)

厳しかった寒さも急に和らぎ、青空の見える日も増え、少しずつ春が近づいているように感じます。
今週は、学校内で行われるクラスアーベント(学期末に行われる各門下ごとの発表会のようなもの)に2日間、来週は音響の学生のための録音実習に協力するための本番があり日々練習に明け暮れています。(クラスアーベントについては、後日更新予定です)

来月には演奏会のため一時帰国致します。
またたくさんの方に聴きにいらして頂けたら・・・と思っております。


2002年 早春 (2002.2.09)

1月末のクラスアーベント、2月のStadt Initiativeでのコンサートも終わり、一時帰国の日が近づいてきました。またたくさんの方々に聴いて頂けたら嬉しいです。
                      

《クラスアーベントの様子》

この時期には各門下ごとのクラスアーベント(演奏会)が一斉に行われています。私たちはピアノのクユムジャン先生とマイスル先生のクラスアーベントに出演しました。
クラスアーベントの行われたファニー・メンデルスゾーンザールです。(これはピアニストだった,メンデルスゾーンのお姉さんの名前)
もうすぐクラスアーベントが始まります。
クユムジャン先生のクラスアーベントでのカーテンコールです。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲「ハープ 」を演奏しました。
大学のそばにあるウィーン料理のお店で。演奏の後のビールはいつにもまして格別!!
誰かさんは「私のシュニツェル(子牛のカツレツ)まだ来ないなー」とポーカーフェイス。

 


2002年 夏(2002.6.08)
 

 ウィーンは今最高の季節です。街の木々は若草色、深緑などの様々な緑で生い茂り、生命力に満ち溢れています。木陰を歩いているとそよ風と鳥の歌声が心地よく染み渡ります。
 留学生活2年目も終盤にさしかかりました。演奏会だけでなく録音の学生とのCD制作実習や、今月末から行く南フランスのエクサンプロヴァンス音楽祭、スロヴェニアのブレッド音楽祭、7月19日トッパンホール(東京)でのコンサートにむけて日々練習、レッスンに明け暮れています。
 
 2002年9月からはメンバー4人共が文化庁派遣芸術家在外研修員としてもう1年留学を続けることになりました。この1年は帰国できなくなるので、7月19日トッパンホールでのコンサートをお聴き逃しなく!

 

≪ハイドン弦楽四重奏曲全曲演奏会 in アイゼンシュタット≫
2002年5月4日

ハイドンが仕えていたエステルハージ侯爵のお城で、ハイドン弦楽四重奏曲全曲演奏会が5月1日~5日に渡って行われました。ヨーロッパの主要なクァルテットが集まり、朝から晩まで25団体によって全69曲が演奏されました。

 

ウィーンから車で1時間弱でハイドンが30年住んでいたアイゼンシュタットの町に着きました。途中には、菜の花の黄色い絨毯が鮮やかに見え、思わず歓声があがりました。
ハイドンフェスティヴァルのポスター。アルティス、ハーゲン、モザイク、エンデリオンなどの国際的なクァルテットが出演し、上から3番目にアルモニコを見つけました。
エステルハージ城の正面。
本番の前にお城のすぐ傍にあるハイドンの住んでいた家に行きました。今はハイドン博物館になっています。
昔小間使いの部屋だったのではないかと思われる部屋にむかう急な階段。

 

上がるとそこは楽屋でした。

楽屋にはハイドンが書いた手紙がそのまま残って飾られていました。
 
Empiresaal(エンピーアザール)での演奏会。チケットが売りきれになり(!)、会場はハイドンを愛するお客さまの熱気に包まれ、鳴り止まない拍手に感動で涙がうかびました。このお客さまの中にいらしたドイツの音楽協会のかたが、休憩時間に私たちを訪ねてくださり、その場で10月にドイツでの演奏会が決まりました!!

 

≪初めてのコンツェルトハウス≫
2002年5月7日

いつも聴きに行っているコンツェルトハウスの舞台についに立つことになりました。
鮮やかな黄色が印象的なシューベルトザールでのリハーサル風景。
本番の様子。こちらの本番ではこのようにマイクを立てて録音することが多いです。
数日後にマイスル先生とイタリアンで打ち上げをしました。この日から、家族や友達のような親しい間柄で使われる「Du」で呼ぶようにと遂に言われました!

 

≪初夏のウィーン≫
― 5月、6月のアルモニコのとある休日 ―

ウィーンの街中にある一番大きい市立公園の散歩道。いつでも気軽にこんな緑の中をお散歩できるなんて・・・幸せ♪
鳥さんたちも休日を楽しんでいます。
この日はMuttertag(母の日)のためのお花がたくさん並んでいました。
 お気に入りのカフェで。
初夏のホイリゲは冬とはまた様子が違って20時を過ぎてもまだこんなに明るい!

(冬のホイリゲの様子はこちらへ
門をくぐってぶどうの木を越えると、奥では地元のお客さんが集っていました。
この日はW杯で日本がベルギーと引き分けた
日で、ウェイターのお兄さんが「日本はとてもいい試合をしたね!」と話しかけてきました。
同級生の小杉くん(読売日本交響楽団ヴァイオリン奏者)が新婚旅行で可愛い奥さんと一緒にウィーンにやってきました!!!

おめでとう!!!

 


2002年 8月(2002.08.10)

 7月のトッパンホールでの演奏会には、たくさんのお客様に聴きにいらして頂きましてどうもありがとうございました。6月から、南フランスのエクサンプロヴァンス音楽祭、スロヴェニアのブレッド音楽祭などを周り、旅を続けてきて最後に日本での演奏会があったわけですが、当日はほぼ満員のお客様の温かい拍手に包まれてとても思い出深い演奏会になりました。
 
 ウィーンに戻ってくると6月の暑さは嘘のようにすっかり涼しくなっていて肌寒いくらいです。このまま秋になりそうです。明日からまたウィーン郊外の音楽祭へ出かけますが、この夏の様子(南フランス)は近いうちに更新したいと思っております。        



 2002年秋(2002.09.09)

 ドイツ北部のメックレンブルク・フォアポンメルン州での音楽祭に出演して参りました。今まで行ったドイツの中では一番北でバルト海も近く、聞こえてくるドイツ語もウィーン訛りとは違うものでした。
また旧東ドイツにあたる地域で、手付かずの自然が多く残っている中で、町のあちらこちらに廃墟となった建物が、統一後10年経った今でも見られました。初めてのバルト海は驚くほど水が透き通っていて、演奏会の後に少し休暇を楽しんできました。

ようやくエクサンプロヴァンス音楽祭の様子を載せました。何度も見てくださった方、ごめんなさい・・・。

 

≪エクサンプロヴァンス その1-音楽祭編≫
   この音楽祭はフランスの伝統ある音楽祭で今年で54回目でした。5年前に現在の音楽監督であるリスナーが就任して以来、内容もより充実して今ではザルツブルク音楽祭と並ぶ質の高い音楽祭になりました。モンテヴェルディから新作まで全6種類のオペラが上演され、15日間滞在中に4種類のオペラのリハーサル、本番を見ることができました。クァルテットとしても、ポール・メイエ、フィリス・ジュルソンなど国際的な演奏家と共演のほか、演奏会、ラジオ生出演の機会もあり、練習、リハーサル、オペラ鑑賞と、朝から晩までどっぷりと音楽漬けで、忘れられない夏となりました。

ここがメインのオペラ会場です。野外なので、楽器や照明の関係上リハーサルも夜行われていました。この明るさで夜8時です。
エトヴゥスの新作「ル・バルコン」(ジュネ原作)のリハーサル。
エクサンプロヴァンスはセザンヌのアトリエがあったところで、彼が歩いた道にはこのマークが等間隔で埋め込まれていました。
コンサート会場のHotel de ville(市庁舎)の中庭。
この会場は野外ですが、四面を壁に囲まれていたので、意外に音響は悪くありませんでした。アンコール後も拍手が鳴り止まず、聴衆の方々の残念そうな表情を見て、もう1曲アンコールを用意しておけばよかった・・・と思いました。

 

≪エクサンプロヴァンスその2-クッキングコース、初めての地中海≫

音楽祭が気分転換を兼ねて、12~13世紀のプロヴァンスの貴族のお城でプロヴァンス料理のクッキングコースを用意してくれました。
前菜にタマネギを赤ワインで煮込んだキッシュと、牛を何種類ものハーブで煮こんだもの、デザートにはアプリコットのグラタンというメニューを目の前で先生が作り、私たちはメモをとり、食べる、というラクチンな料理教室でした。
ラベンダーの咲くお城のお庭で、夕暮れどきのひんやりとした風に涼みながら贅沢なひとときを過ごしました。
クッキングコースの1週間後にこのお城でエイズ基金のためのコンサートが行われ、演奏の後にプールサイドで支援者の方々とともにディナーを楽しみました。
唯一の休日だったある日曜日にマルセイユへ初めての地中海を見に行きました。イタリアを思わせるようなさんさんと輝く太陽と、今まで見たことのない真っ青な海に感激しました。
マルセイユから20分ほど船に乗って、デュマ作「モンテクリスト伯」の舞台となったイフ島に行きました。城塞として造られ、後に牢獄になり、たくさんの騎士や政治犯が投獄されました。ここに入ったら二度と生きては帰れない、と言われる程のおそろしい牢獄だったそうです。牢屋のほとんどは、窓もなく光が差す小さな穴があるだけで、こんな美しい海は見えませんでした。
イフ島のさらに1つ先にあるフリオール島で、地中海に第1歩を静かに試みているK氏。

 

 ≪北ドイツの音楽祭≫2002.09.05

北ドイツのかわいい町バートドベラン着くなり、この町の名物機関車モッリが汽笛を鳴らしながらやってきました。すぐにでも乗りたい気持ちをおさえて、演奏会が終わってからのお楽しみにとっておきました。
会場のフェストザールでのリハーサル風景。小さな町にもかかわらず、ハンブルク、リュ-ベック、ロストックなどの大きな町からもお客様がいらして下さいました。
終演後、音楽祭の関係者とビール&ドイツ料理で乾杯!
翌日、待ちに待ったモッリに乗ってバルト海を見に行きました。果てしなく広がる平野、大自然の中をモッリは駆け抜けました。
初めてのバルト海。ヨットの向こうはデンマークです。行きたいなー、デンマーク・・・
水着を持っていたにもかかわらず、すでに秋の風が吹いており、足だけで精一杯。しかしうしろには、海坊主Kが・・・!砂浜にはバルト海特有の模様の石がいっぱいあり、石、貝殻を時間を忘れて拾い集めました。

 


 2003年冬( 2003.01.15)

 明けましておめでとうございます。ウィーンで迎える新年も3回目となりました。私たちの留学生活も残り少なくなり、1日1日を大切に過ごしていきたいと心を新たにしております。
 今年の日本でのコンサートは9月の東京を始めとして、豊田、札幌、大阪などで予定しております。それまでは一時帰国できませんが、ウィーンでじっくりと腰を据えてできる限りのことを吸収し、自分達の信じるものを追求していきたいと思っております。
 
 今回は2002年秋冬総集編にしました。
 長い間ホームページの更新をできず、何度も見ていただいた方ごめんなさい・・・・・。

≪2002年秋冬総集編≫

10月のドイツでのコンサート会場。マックスレーガーの生まれ故郷のヴァイデン(ミュンヘンから北東へ約2時間)は、紅葉の一番美しい時期でした。
ヴァイデン室内音楽協会を創設したトーマスさんのご自宅に終演後お招き頂きました。ピカソを始めとして20世紀から現代の美術作品をコレクションされています。ピカソの若い頃からのスケッチを手にとって見せて頂き、いろいろと説明して下さいました。ちなみに後方の壁に掛かっている絵もピカソです。
レーゲンスブルク名物のソーセージ

ヴァイデンの翌日近郊の
レーゲンスブルクに立ち寄りました。
ドナウ川にかかる13世紀に造られた
石橋。

レーゲンスブルクの夕暮れ
オーストリアの伝統的なお菓子を作り中のK氏

K氏作のApfelstrudel(アップルパイ)

K氏作のKeiserschmalen
(ホットケーキとカステラの中間のような食感。)
シェーンブルン宮殿のクリスマス市

12月のある日、起きたら一面の大雪景色!


珍しく晴天の雪景色の中、
公園では子供達がそりをしています。
 

クリスマスが過ぎると街には
豚の小さな人形を売る小屋が
出ます。


豚は、幸せを呼ぶ象徴と言われ
新年の始まりに、
「いい年になりますように」と
渡し合う習慣があります。
  フォルクスオーパーのソプラノ歌手の幸田浩子さんの歌う魔笛を聴きに行きました。
会場中に響き渡った幸田さんの夜の女王に酔いしれました。終演後カフェで一緒に。


  


2003年春(2003.04.10)

 ウィーンは4月に入ったというのに、ここ数日間、昼間でも零下で吹雪く日もありました!その中でも辺りの木々には芽がふくらみ始めていて、春がそこまで来ています。

 2月には、テレジーエンシュタット強制収容所(プラハの北)に入れられ若くして亡くなったユダヤ人作曲家(クライン、シュール)の作品を取り上げた演奏会に出演しました。この演奏会のために、事前にユダヤ民族音楽のヴァイオリニストを訪ねて、ユダヤ音楽独特の歌いまわしや、今まで触れたことのなかった文化を知り、貴重な経験となりました。3月にはフィレンツェ郊外の音楽祭に行き、ウィーンより2足早く春が来ていて、イタリアの太陽をいっぱい浴びてきました。

  


≪イタリアでのアルモニコ≫
 
 噂で聞いてはいたけれど、イタリアではやはりいろんなことが起きました・・・・
時間にルーズなので1時間に1本しか来ないバスのために30分前から待機していたのにもかかわらず、バスは来ませんでした。この時は運転手さんがたまたまやる気がなく勝手に休んでしまったようです。
 
 イタリア語の「クァルテット・アルモニコ」という名前は、イタリアの人達に喜ばれました。

コンサートのあった会場。建物の後ろに少し見えているのがトスカーナ地方特有の糸杉です。花粉症のK氏は、本番中も鼻が止まらず大変でした・・
音楽祭で知り合ったスロヴェニアのクァルテット。彼らは4人兄弟によるクァルテットでとても仲がよく、相槌まで息がぴったりでした!
音楽祭の後、フェッラーラ(ボローニャとヴェネツィアの間)に滞在しました。
 ここは、世界遺産になっていて、13世紀の建物や道が残っています。煉瓦の建物が多く、かわいらしい雰囲気の街でした。
名物のボンボローネ。中にカスタードクリームが入っていて、揚げたては最高!

トスカーナ特有のパン。外はかりっとしていて、中はふっくら。



≪番外編≫

K氏の家から見える鳩の子供達。子供の鳩は真っ白でとてもきれい。今は半分ほどグレーになってきています。
親鳥が餌を与えにきたところ。親鳥の教育は厳しく、今は飛ぶための特訓中。

 


2003年夏(2003.7.26)

 私たちのウィーン留学生活も3年目終盤にさしかかりました。今年の夏は、昨年に引き続き南フランスとスロヴェニアの音楽祭に出演し、たくさんの本番をかかえリハーサルに明け暮れる日々でしたが、今ようやくホッと一息ついています。9月に1年ぶりの一時帰国を控え、日本で演奏できることをとても楽しみにしています。9月26日のトッパンホールでの演奏会を皮切りに豊田、札幌、大阪・・・と予定しております。詳しくはコンサート情報をご覧下さい。   


≪ウィーンの初夏―ホイリゲとバラと ≫
「シューベルトのヴィーナーリート風の旋律をもっと自然に歌えるようになるには、ホイリゲの雰囲気をもっと知らなくっちゃネ」と、マイスル先生がカーレンベルガー村(ウィーンの最北端)へ連れて行ってくださいました。

今までいろんなホイリゲに行ったけれど、ドナウ川を見下ろせるこのような絶景は初めてでした。
マイスル先生と子供達(カタリーナとトビアス)と一緒に。
初夏になるとフォルクス庭園には一斉にバラが満開になります。この庭園からは正面に市庁舎、右に見える2本の塔がヴォティーフ教会、そして右端にはブルク劇場が見えます。
数え切れない種類のバラが咲き乱れ、庭園中ばらの香りでつつまれていました。


≪エクサンプロヴァンス2003≫
去年に引き続き今年もエクサンプロヴァンス音楽祭に招待されました。今年の音楽祭は少し大変なことになっていました。フランス新政策の関係で、音楽祭を支える裏方の人達の保障問題で激しいデモが頻繁に行われ、私たちのコンサートも2回キャンセルになりました。期間中に音楽祭自体も全面中止になってしまい、この音楽祭の将来がよくなっていくように願うばかりです。

この音楽祭のパトロンであるソサエティの方々が、17世紀から残る邸宅でのパーティーに招待してくださいました。
中庭の真中に噴水があって(写真ではわかりませんが、水が細く出ていました)壁一面に雨戸のついた窓がある、このような形がプロヴァンスの典型的な邸宅だそうです。
この日の野外コンサートでは私たちはこのお庭をあてがわれ、同じ曲を立て続けに3回演奏しました。なぜならば、この他に2箇所徒歩3分くらいの場所で、他の団体も同時に演奏していて、お客様が自由にその3箇所を移動して聴く、という企画だったからです。
アラン・プラネス氏とシューマンのピアノ五重奏曲を演奏。
鳴り止まない拍手にアンコールをしたいと思ったのですが、何回ものカーテンコールにお疲れの長老のプラネス氏はニコニコしながら舞台裏へ進み、私たちも申しわけないと思いつつ、氏に続きました。

 


≪アッター湖畔での休日≫

ザルツカンマーグート(ザルツブルク近郊の湖水地帯)にあるマイスル先生の別荘に遊びに行きました。別荘のあるアッター湖は、カンマ―グートの中で一番大きく、オーストリアの湖の中では一番きれいな水だと言われています。またクリムトがアトリエを持っていたことでも有名ですが(夕暮れ時の湖面の揺れからは、クリムトの風景画が思い出されました)、多くの芸術家がこの湖畔に別荘を持っているそうです。

先生のお宅のお庭から見えるアッター湖。そのまま湖に入れるという夢のようなプライベートビーチでした。
このボートでしばし湖を遊覧しました。湖のある場所からは、360度の視界の中で同時に5つの教会が見ることができました。
お庭のテラスで。泳いで、食べて、そしてまた泳いではお庭でのんびりし、本当に夢のような休日を過ごしました。

 


2003年12月(2003.12.23)
この秋の一時帰国の演奏会では、たくさんのお客様にいらして頂きましてありがとうございました。各地で皆様に温かく迎えて頂き、おかげさまで1年ぶりの日本での演奏会も盛況に終わることができました。
ウィーンでのクリスマスももう4回目となり、また私たちにとって留学生活最後のクリスマスだと思うと感慨深いものがあります。
今回はクリスマスを心待ちにするウィーンの街並みの写真特集にしてみました。

≪ウィーンのクリスマス2003≫


↑ウィーンで1番大きな、市庁舎(ラートハウス)のクリスマス市


↑1154年に建てられたウィーン最古のショッテン修道院前のクリスマス市


カール教会の前の広場でもクリスマス市が開かれています。

       ↑お花屋さんでも、クリスマスのためのろうそくの飾りやリースが売られています。

 リボンなどで飾られている小さなもみの木↑ や、いろいろな大きさで自分で飾れるもみの木が街中で売られています。


旧市街の中心、グラーベン


コールマルクトのイルミネーション。奥にはハプスブルグゆかりの王宮が見えます。

 

 

 

 

 

 

 


リゲティを訪ねて           200110月)

 


リゲティが今回京都賞を受賞し、そのワークショップの中で私たちが弦楽四重奏曲第2番を演奏することになり、その前にリゲティ自身とリハーサルをするという貴重な経験を持つことができました。  
タクシーを降りて、"Ligeti"という名のある表札を見付けた時には、本当にここにリゲティが住んでいるんだ・・!と思い、やはり興奮しました。ブザーを押すと、秘書のルイスさんの美しい声が聞こえてきて、『2階(日本でいう3階)へどうぞ』と明るく出迎えられ、緊張が少しほどけた感じがしました。
中に入ると、奥から杖をつきながら、リゲティ本人がゆっくりと歩いてきて、私たちひとりひとりに毎回『リゲティ』と名乗りながら握手をして下さいました。写真で見たよりも小柄で笑顔の優しい方でした。
部屋に入ると、物を置けるスペースというスペースには全てに楽譜やレコードや紙類が山積みになっていて、4人が椅子を並べるのも大変なくらいでした。こぢんまりとした部屋の窓から見える木々の美しく色づいた葉を見て少々自慢気に『きれいだろう?日本も今は美しい季節なのではないか』とおっゃいました。

リハーサルが始まり、1楽章を弾き終わると、『Gut』と笑顔でおっしゃり、私たちのクァルテットとしてのレパートリーを尋ねられました。『ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト』と古典から現代までをひと通り思いつくままに挙げると、『シューベルトはG-durをやったか、ベートーヴェンの後期はやったのか』などと具体的に質問されました。
ベートーヴェンの作品130を大フーガ付きでやったことを話すと、『大フーガをやったのか・・』とつぶやき、『cis-moll(作品131)はやっていないのか?』と聞かれました。
そして、ベートーヴェンの後期は全てやるべきだ。そうしたら見識がもっと広がるだろう、と言われました。

このリゲティの弦楽四重奏曲第2番は、ベートーヴェンの作品131cis-mollとバルトークの第4番、そしてこの作品、というように、もちろん全然違うものではあるのだけれど、しかし大きな流れを持って関連があるのだ、と話されました。リゲティの弦楽四重奏曲第2番は楽譜に書かれている音を一音一音すべて正確に弾くのは、不可能と言ってもいいほど大変複雑です。初めてこの曲をやった3年前は譜読みをしているだけで気が狂いそうになるほど大変でした。でも自分達で試行錯誤しながら曲を仕上げていく段階で、リゲティ自身はこの書かれている音そのものを 欲しているのではなく、そのような音の連続から生まれる、狂乱だったりざわめきだったり、またはつぶやいていたり、ささやいているように聞こえる"何か"を求めているのではないか、という自分達の結論に行き着きました。初めて弾いた時から、この3年間でリゲティの2番は何回も弾いていますが、やる度にいろいろな発見がありました。今回リゲティ本人の前で演奏するということでかなり緊張し、楽譜をいろいろな角度から見ていくうちに、昔は気づかなかったことも発見し、そのすごさに鳥肌がたちました。

ある部分を、ヴィオラとチェロだけで弾くように指示された時、またヴァイオリン2本だけで弾くように指示された時、すべての音を正しく弾くことを要求されているように感じて、どうしようかと思ったのですが、リゲティが要求したことは、音量、音質のバランス、つまり彼のイメージしている'響き'に近づくことでした。
フォルテ4つの激しい部分で、リゲティの要求どおりにすさまじく激しい性格が出せた時などは、私達が日本人なのを意識なさって『そう!サムライのようだ!』とか、『カミカゼ!』というおもしろい誉め方をしてくださいました。
2楽章、3楽章は、ひとことも注文がなく、大変素晴らしい、と言って頂きましたが5楽章にそれぞれ各パートにカデンツァのようなヴィルトオゾ的な部分があり、そこを一人ずつ弾くように言われた時も、書かれた音のように弾くことはほとんど不可能なので、不安に感じながら弾いたところ、結局リゲティの求めているものは、やはりその音そのものではなく、それをいかにファンタジーを持って表現するか、ということでした。

全体に、リゲティに求められたことは、その音型を使ってできる最大の表現をする、ということでした。もちろん『ここの部分はそのとおりの音で弾いて欲しい、そしてそれはとても難しく大変なことだとわかるけれど、やりがいはあります』とおっしゃった箇所もありました。
1楽章最後の部分の、フラジオレット(弦を軽く押さえてだす奏法)でのユニゾンの部分について、ナトゥーアフラジオレットとそうでないフラジオレットに音程の微妙な差が生じてしまうことについて、それは意図的に書かれたものなのかどうかを質問したところ、それが意図的であり、それが2楽章の微分音へとつながっていく、ということを知って大変驚き、さすがだと思いました。『とてもいい質問です、そのことを疑問に思って尋ねてくれたことを感謝する』と言われました。

普段は、もうすで亡くなってしまっている作曲家の曲を勉強していて、作曲家自身にその意図を尋ねる、ということはできません。楽譜をしっかりと読み、その奥に書かれている作曲家の意図を読み取り、自分達の言葉で表現するわけですが、今回リゲティ自身に会うことができ、作曲家というものが、やはり"表現"ということに重きを置いていることを改めて知って、とても大切なことを教えられた気がします。

リハーサル後、ルイスさんがおいしいお茶をいれてくださり、楽しいひと時を過ごしました。日本の文化にとても興味をお持ちのようで、とくに漢字とひらがな、カタカナの違いはとても奇妙に思っているようでした。そして『日本人はいつも礼儀正しい』とその日本人の美徳に関心を持たれているようでした。
最後に、『あなた方が、偉大なクァルテットになることは間違いないだろう』という嬉しい励ましの言葉を頂きました。そして『ベートーヴェンのcis-mollとバルトークの4番は必ずやるべきだ』とも。

 

 

リゲティを訪ねて

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